偏見とボロボロの履歴書に抗う。何度も打席に立ち、自分に合う働き方を見つける社会へ。
変わる「普通」と、変わらない「偏見」の狭間で
統合失調症になって20年以上、ずっと思っていました。
「いつか国が助けてくれる」「国が私たちの生活をよくしてくれる」って。だって、国や議員さんたちは、国民の生活をよくするために働いてくれているはずだから。
でも、現実はどうでしょうか。
今や統合失調症の患者であっても、自立して一人で生活したり、会社で働いたり、結婚して子どもを持ったりしながら、地域社会の中で共に生きることが「普通」の時代になりました。
しかし、一歩外(SNS)を開けば、「きちがい」や「糖質」といった心ない言葉で軽んじられているのが現実です。
顔が見えない、名前がわからない場所。思ったことを勢いで投稿している人もいるでしょう。だからこそ、人の偏見や差別が飛び交っているのが、言葉として、形として見えてしまいます。
社会の精神障害者に対するイメージはまだ古いままですし、病者でもないのに、その人を侮蔑する言葉として「きちがい」や「精神障害者」という言葉を投げつけることもあります。
言葉の刃が、あまりにも大きくなりすぎているように感じています。
私たちを阻む、オープンとクローズの壁

「統合失調症の家庭は貧しい傾向がある」とも言われます。そんな中で、生活のために働こうとしても、健常者のようにはいきません。
障害を「オープン」にして働く難しさ
そもそも採用されること自体が極めて困難です。たとえ障害者雇用の求人が出されていても、企業側の本音は、精神障害者よりも身体障害者を選びたがっているのが現実だからです。地域にA型事業所があれば貴重な就職先になりますが、それ以外で一般企業のオープン就労をつかみ取るのは至難の業です。
そうして何とかオープンで職を得たとしても、任されるのは単純作業の短時間労働ばかり。障害年金を合わせても、生活保護で暮らす人とほとんど変わらないか、時には生活保護のほうがまだ安定しているのではないかと思えるほどの低収入しか得られません。
障害を隠す「クローズ」で働く限界
かといってクローズで働けば、会社にキーパーソン(理解者)を置いてもらうような配慮は受けられません。障害という負荷と仕事をすべて1人で背負い込むことになり、過度なストレスから体調を崩してしまいます。
結果、仕事を休みがちになり、退職に追い込まれる――。
- 生活のためにまた仕事を探すけれど、オープンでは見つからない
- 生きるためにクローズで探すしかない
- そして、また長く働けずに崩れていく
そんな転職を繰り返し、ようやく体調が落ち着いてくる40代を迎えた頃には、履歴書はボロボロ、年齢は高く、キャリアもない状態になってしまいます。だから、私たちはどうしても貧困から抜け出せないのです。
善意の裏にある「無理解」と、閉ざされるキャリア
さらに、精神障害者を採用する会社も、まだまだ、どのように精神障害の人と仕事をしていけばいいのかがよくわかっていません。わからないから、積極的に採用しようとはしない。企業もまだまだ試行錯誤の状態なのです。
過去に私が精神障害者であることが職場の監督者に知られたとき、それまできびしく指導されていたことが、急に「手取り足取り指示をする」ように変わったのです。
そしてそのうちに、彼は私の仕事まで自分でやってしまうようになり、私は彼が作った書類を提出してファイリングするだけの、単純作業ばかりを任されるようになりました。
彼はたぶん、精神障害者と知的障害者の違いがよくわからなかったのでしょう。悪気はなかったのかもしれません。
しかし、こうした職場の無理解によって、出世の道はまずなくなりますし、キャリアアップしていくこともできなくなってしまいます。これに似たようなことは、これまでにちょこちょこありました。こうした社会の「正しい知識を持たないがゆえの対応」もまた、私たちの可能性を奪う大きな壁なのです。
必要だったのは、お手本となる「先輩」と「地図」

統合失調症になった人は、それまでできていたことができなくなる絶望を抱えながら、それでも一生懸命に生きています。
そんな中で誰もが直面する苦しさの一つが、「これからどう生きていけばいいのか」というお手本になる先輩が近くにいないことです。
今の精神障害者は、例えるなら「自由に絵を描いていいよ」と言われても、きれいな色の出し方も、道具の使い方もわからないような状態です。みんな必死に試行錯誤していますが、やっぱり「こうするといいよ」という見本があるのとないのでは、安心感が全然違います。
世の中にある統合失調症の情報は、極端に重い症状のものばかりで、社会で働こうとしている人たちにとっては参考にしづらいのが現実です。
だからこそ、精神障害を抱える人が、その人らしい豊かな生活を目指せるような「キャリアの地図」を作りたい。私はそう思いました。
転職は「自分に合う働き方を探す当たり前のプロセス」
精神障害者を貧困とさせているのは、「偏見」と「履歴書」です。
精神障害があり、転職回数が多かったり就職期間が短かったりすると、企業側は「もしも……」という不安から採用を躊躇しがちです。その社会の偏見に、本人が絶望してしまうことがあります。
でも、薬の調整がうまくいけば本当によくなるし、普通に働き暮らせる人もたくさんいます。まずはそれを「社会の常識」にしたいのです。
回復は一歩ずつ、少しずつ。その変化に合わせて、仕事のしかたや職場も変わっていっていいはずです。
- 「短時間で成果を出すのが体調に合っている」
- 「在宅でコツコツ、自分のペースで計画的に取り組むのが得意」
何がうまくいくかを試す中で、もし転職が多くなったとしても、それを「自分に合う働き方を探す当たり前のプロセス」と受け止めてくれる社会へ。そんな理解が広がれば、精神障害者の就職や未来は、もっと大きく変わっていくと思うのです。
何度も打席に立ち、特性に合う職場を見つけられる社会へ
特性に合わせると言っても、一概に「事務職ならいい」という話ではありません。 働く時間、1人かチームか、職場の人間関係や環境の傾向まで、相性は人それぞれです。営業が合う人だって確実にいます。
自分に合う会社を見つけるために、何度も打席に立つ(転職する)必要があるのは当然のことです。
その特性に合う職場を探すのを、単なる「数打ちゃ当たる」にするのではなく、支援者とともに考え、知恵を出し合い、特性に合致する仕事を短期間で見つけ出せるようになること。
そして、そんな挑戦を温かく認知し、キャリアアップへの道筋を一緒に応援してくれる社会であってほしいなと思います。

